研究課題/領域番号 |
06610414
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
国文学
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研究機関 | 鹿児島女子大学 |
研究代表者 |
清水 勝 鹿児島女子大学, 文学部, 教授 (50248647)
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研究期間 (年度) |
1994 – 1996
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研究課題ステータス |
完了 (1996年度)
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配分額 *注記 |
1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
1996年度: 300千円 (直接経費: 300千円)
1995年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
1994年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | 八田知紀 / しのぶぐさ / 桂園派和歌 / 小沢芦庵 / ただこと歌 / ふりわけがみ / あしかび / ちりひぢ / 香川景樹 / しらべの歌 / 熊谷直好 / しのぶくさ / 高崎正風 |
研究概要 |
江戸期も半ばを過ぎた頃に起こった「ただこと歌」は、今まで考えられていたよりも、随分おくれて歌壇に公表されたと考えられる。そして「ただこと歌」は、直ちに香川景樹に受け容れられ、「しらべのうた」になり、大きく歌壇に勢力を張ることになっていった。 香川景樹の門人千人といわれるなかで、その双璧は、熊谷直好と八田知紀であった。直好は師伝をそのままに重んじ、知紀は師が目指した歌論と詠歌を自分流に発展させながら、桂園派を導いた。やがて、桂園派が明治宮廷派の中心になるに至って、知紀とその弟子たち、なかんずく、高崎正風とその門下たちは、歌壇の中枢的位置を占めていった。 一方、幕末から明治に至る桂園派の発展に従って、革新を唱える新派もそれに付随するように大きくなっていった。それは、桂園派の絶頂期がその崩壊をまねいて、桂園派のみならず和歌という文芸までも文学史上のものとなり、短歌にあとを譲っていく過程でもあった。いいかえれば、桂園派が短歌という文芸を興したといってもよいであろう。
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