研究概要 |
本研究の目的は、具体的に会話において疑問文・質問がどのように機能しているかを明らかにすることである。発話行為理論の最近の研究では、質問と返答を対をなすものとして発話の最小単位とする考え方が見られる。本来、別々の話者の発話である質問と返答を一対のものとして扱うことができるのは、「対話」という概念を導入したためである。質問は、情報の提供を求める依頼の一種とみなすことができ、質問者は必要な情報に応じて質問の形式を決定する。決定疑問文の選択肢は肯定と否定の二つであり、補足疑問文の選択肢は可能な答えの集合である。実際のコミュニケーションにおける質問にはしかし、このような疑問文の特徴が必ずしも現れてはこない。その発話が質問であることを示すには、音声信号やパラ言語学的信号である場合が少なくない。また、疑問分が質問以外の用途に用いられることや、質問にたいする扁桃が疑問文の形をとっていることさえある。 分析資料は、1994年に収録した会話資料である。札幌在住のドイツ語の話者5名による座談会であって、約90分にわたって、日本での生活や将来のことなどを話題にしている。フライブルク・コーパスは、この座談会資料に比べて、情報の詳細さにおいて劣るので、今回は参考資料としたが、後日、量的分析の際にさらに活用する予定である。 irgent so, oder so, glaub ich等の表現を、G.レイコフ「ヘッジ」と名付け、その、ものごとを曖昧にする性質に注目したが、質問にヘッドが用いられると、情報提供の要請という質問本来の目的が曖昧化され、一見質問としての目的を達成できないかのように思われるが、この曖昧化によって返答を要求されている聞き手は、心理的により大きな自由が与えられることとなり、このようにして行われる返答は、質問者の意図に添う結果となる。座談会資料全般にわたる分析を今後も続ける予定である。
|