奈良県山辺郡都祀村吐山は、両墓制が分布する地域である。遺体を埋葬する墓地(埋め墓)は死者の年齢に応じて区分され、また石塔を建立する墓地(詣り墓)は家を単位として区分されている。ムラの中央に神社があり、神社はムラ祭祀の中心である。神社は死穢を嫌い、神社の前を葬列が通ることも許さない。また、死者の家族が喪に服する期間(1年間)神社への参拝・祭りへの参加も許されない。死者祭祀の担い手となる集団は家=家族であり、死者祭祀の対象として詣り墓(石塔墓)が建立されている。ムラのなかではこの二つの祭祀空間が並存している。 吐山における墓地はいわゆる入会地であり、村落の構成員だけが墓地の利用資格(墓地使用権)をもつ。埋め墓では墓地は掘り起こされ繰り返し利用される。また、詣り墓でも石塔の数が増加するとともに石塔が集まられ、合葬するようになってきた。この地域では、中世の永禄年間に村人達の共同の供養碑が建立されるようになる。これがこの地域の墓の最初の形態である。特定の個人を供養の対象とした墓の建立は、庶民階層では、近世の初頭(元和-正保)の頃から登場する。この時期には、夫婦で合葬する夫婦墓も登場する。19世紀になってくると、墓地の狭隘さもありいくつかの石塔をまとめ、合葬した墓が登場し、この地域では20世紀になって初めて家族を合葬した墓の形態(家族墓=家墓)が現れる。家墓には伝統的な家のイメージが付着しているにもかかわらず、家墓は近代になって登場する墓の形態なのである。
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