故田中吉太郎家は代々「近江屋吉兵衛」を襲名してきた大工の家系である。田中家に多数所蔵されている普請関係文書のうち、文化・文政年間から明治初年にいたる約80年間にわたる「大福工数帳」約20冊には、出入り先と仕事の内容、職人の名前と出面、材料の種類・数量・規格などが記録されており、主として町場を仕事場としていた近江屋の営業活動の実態を明らかにすることができる。また約100点の町家古図は、間取りのほかに、構造、各種の寸法、大工の人工数などが記載されている。 またあらたに約120点の「工数日記帳」を見出すことができた。マス目を切った用紙に記された大工の出面表で、年紀が確かなものは天保7年(1836)、安政5年(1856)、明治29年(1896)、明治30年(1897)のみであるが、他も幕末から明治にかけてのものと思われる。「大福工数帳」と照合することによって近江屋の営業形態がより明らかにすることができる史料であるが、調査期間の終了間際に発掘されたため、分析作業は今後の課題である。 調査研究の成果を公表するにはいたっていないが、『近世京都の町・町屋・町屋大工』(仮題、思文閣出版)を刊行する予定で準備を進めている。主な内容は、近世町屋の形成過程、近世町屋の建築構成、町屋大工の営業形態、町屋の生産システム、町屋大工の組織と技術、などについてであり、このほかに資料編として本研究によって翻刻した町屋古図を原図写真とともに掲載し、それぞれに解説を加える予定である。なお、調査報告書は資料は中心として編集した。
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