日本の蘭学史上代表的な翻訳蘭学医書である『解体新書』(解剖学書)『瘍医新書』(科学書)、『西説内科撰要』(内科学書)のヨーロッパ人原著者とオランダ人翻訳者について、一次史料、文献をもとに、その業績と職歴をプロソポグラフィー(集団履歴調査法)に分析した。 『解体新書』の原著者クルムスはダンヒッチの大学卒の内科医、蘭訳者デックテンはオランダ・ライデンの外科医であった。(2章)『瘍医新書』の原著者ハイステルは大学で学んだドイツの外科医、蘭訳者ユ-ルホールンはオランダ・アムステルダムの外科医であった(3章)。『西説内科撰要』の原著者ゴルテルは、外科医の資格を取得した後、大学で内科医の資格を取った医師であった(4章)。また江戸時代にその著者が最多数日本人に受容されたプレンクは、外科医出身の軍医学校教官であった(5章)。 19世紀前半までのオランダ・ヨーロッパの外科医は、内科医と身分も職能も全くことなる職人であり、外科は学問でなく、技術にすぎなかった。江戸時代の日本が受容した蘭学原書のオランダの訳者たちは、職人であった外科医という共通点が、プロソポグラフィー的検討より判明した。 そこで、職人であった外科医の概念を検討するため、テイデンの町を選び、一次史料をもとに、ライデんの外科医ギルドの歴史を6章に示し、文献をもとにオランダ全体の外科医の歴史を7章に示した。
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