1.本研究では、相互に関連し合う2つの問題を考察した。1つは、興隆を続けるイスラム復興運動が、自らの目標とする「イスラム国家」プランの中で宗教的マイノリティーの地位をどう見ているかという問題。もう1つは、宗教的マイノリテイーの側から見て、イスラム復興現象はどう評価されるか、という問題である. 2.イスラム法は、宗教的マイノリティーがイスラム教徒との政治的優越を認める限り、法的な自治を認める。この伝統はイスラム圏において長く多宗派の共存を可能にしてきたが、近代的な国民国家に「イスラム国家」論を適用する場合には、マイノリティーを排除する方向に働くことになった。宗教的マイノリティーがイスラム法に口を出すことはできないのだから、イスラム法を施行する「イスラム国家」では、彼らは二級市民となるというマウドゥ-ディー(パキスタンのイスラム復興運動家)の主張は、こうした議論の典型であろう。「イスラム国家」に反対する論点の1つとして、この問題がしばしば取り上げられてきたのも当然と言える。 3.「イスラム国家」観の見直しを迫られた復興勢力の返答は、たとえば1992年1月にカイロで行なわれた世俗国家論争に見ることができる。そこでは、イスラム教徒と同等の権利を有しながらイスラム法とは別の法に従うという新たなマイノリティー像が提示されているのである。この思想は萌芽的とはいえ、同一の法のもとに同一の権利を認める国民国家の論理をも突き破る可能性を孕んでおり、多宗派共存への道を開くかもしれない。 4.しかし、「イスラム国家」に対するマイノリティーの嫌悪感は簡単には消えそうにない。マイノリティーには、現に復興運動の興隆によってイスラム的な生活を強いられているという感覚が強く見られるからである。新たな段階における多宗派共存への道はいまだ楽観を許さない状況にあると言えよう。
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