本年度は、(1)『徳川実紀』『孝明天皇紀』等の基本史料と近世の朝幕関係に関する研究書・論文、(2)綾小路家の旧蔵史料(天理大学図書館蔵)、(3)『公事録』『京都御所取調書』(宮内庁書陵部蔵)など幕末の宮中行事に関する当事者から聞き取り調査に基づく未公刊記録類、(4)『豊原喜秋記』(京都方楽人・豊喜秋1848-1920筆)『芝家日記』(南部方楽人・芝葛鎮1849-1918筆、天理大学図書館蔵)『楽所日記』(天王寺方楽人・東儀文均1811-1873筆、国立国会図書館蔵)などの楽人日記を調査した。その結果以下の諸点が明らかになった。 1)江戸期の雅楽は、初期の三方楽所の創設と家光上洛時の催馬楽復曲にはじまり、後期には宮中行事の復興に伴って東遊・久米舞などの廃絶曲(歌物)が次々に復曲された。東遊などの復曲には、楽人のほか綾小路・四辻など楽を専門にする堂上公卿らも関与し、復曲された各パートや舞は幕末まで担当した家筋に家伝として保有された。 2)これら江戸後期の復曲が出揃った幕末の伝承が、基本的に『明治撰定譜』に象徴される近代雅楽へと継承された。明治期の宮中行事改編にあたって慶応二年度が直接の先例となったことに鑑みても、幕末の実態解明は雅楽の近世から近代への変化を検証する上で極めて重要であり、また史料の伝存状況からも現時点で最も精度の高い研究が期待できる。 3)担い手に関して言えば、近代の雅楽は、世襲の専門家集団である三方楽人を統合し宮中行事の奏楽専任官として温存する一方、楽人とともに雅楽を職掌としていた天皇・堂上公卿と、雅楽を外来音楽として愛好していた武士・文人らの幅広い層とを切り捨てたところから出発した。前代までの雅楽伝承を一手にひきついだ近代の伶人(楽人)制度は、岩倉具視が創設した楽道保護賜金などによって戦前まで守られた。 今後は、江戸期の雅楽年表・史料一覧を完成させ、江戸末期の雅楽制度に関する史料の分析をさらに進めて、来年度の学会誌と大学紀要に発表する予定である。
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