まず現地調査として、京都市周辺の正伝寺・天寿庵・円満院等および宮城県瑞巖寺という中小規模障壁画群と、二条城という大規模障壁画群について、付属の引手金具の全点調査を行った。計測・写真撮影と現位置確認、引手の付け替え痕跡などを記録し、一点ごとの資料カードとデーターベースを作成した。 これらのデーターに基づき、個々の引手群について型式分類と組列作業を進め、障壁画制作当初にともなう型式と後補型式の弁別を図った。さらにこれらを相互に比較することで、以下の点が明らかとなった。 1)16世紀後葉までの引手が、楕円形ないし四花形といったシンプルな外形で彫金装飾も最低限の範囲にとどまっているのに対して、17世紀初頭の慶長年間後半ころより、笄形区画のある大形縁座を作り出すいわゆる御殿引手が急速に流行する。彫金装飾はいたって豪華で、鍍金や墨差しなどの着色も一般化する。 2)引手デザインのうちとくに鍍金・墨差しの有無といった外観の色合いは、襖絵との釣合いを念頭に決定されたようで、金碧画には鍍金のみのもの、淡彩・水墨画には未鍍金ないし鍍金後墨差しをした落ち着いた色調のものが対応することが多い。 3)17世紀前半の慶長期から寛永期へといたる過程で、引手の装飾性が急激に高まる。具体的には、加飾密度の高まり、月や花桶といった具象的意匠の登場、七宝技法の採用などの点が挙げられる。あわせて、個々の引手に工人ごとの個性があまり目だたなくなり、技術の平準化も進むことが判明した。 4)障壁画の規模により、引手を担当した工房の工人組織にも大小の差が明瞭に見られた。
|