家庭学校は、入校手続き・実業教育および感化事業従事者養成を本校、十五歳以上を北海道分校、十五歳未満を茅ヶ崎分校と機能分化の基準を設け、また、本校は1909年に東京府代用感化院、北海道分校は開設八年後の1922年に北海道庁代用感化院に認定されていた。感化法は、1908年改正以降、主たる対象少年の年齢を8歳以上18歳未満、1922年以降は8歳以上14歳未満と規定していた。本研究では、家庭学校内部の分類基準と代用感化院生入校との関係を整理し、家庭学校内部での生徒異動、家庭学校と他の感化院との間における生徒異動の実態の解明につとめ感化法制下における民間感化教育施設としての家庭学校の位置を明確にした。 方法としては、第一に、公文書等により北海道・東京府・神奈川県の感化院の設置状況と生徒入校基準を確認した。第二に、家庭学校の庶務記録・日誌類により1914年から1923年までの家庭学校内部における生徒異動、同時代の他の感化院等との間における生徒異動の実態を解明した。年度途中に学外に貸出されていた大量の日誌類が北海道家庭学校に戻された。これらは、北海道分校開設以降の巣鴨本校、北海道分校、茅ヶ崎分校の日誌であり研究遂行の最初に依拠すべき資料と考え、計画段階での資料の利用を変更した。 資料および時間的制約もあり全容の解明は今後の課題として残されたが、感化法の運用実態を示す以下の成果を得た。第一に、入校に関しては家族や関係機関からの入校相談の様相と入校決定までの経緯や入校の手続きの実態、第二に、家庭学校内部における生徒異動に関しては北海道分校への異動経緯と引率、北海道分校からの帰京、茅ヶ崎分校開設時の幼年者選択、分校内部での寮間の異動や生徒から見習生への身分異動、さらに「校外生」としての生徒委託の状況、第三に、家庭学校卒業後に関しては卒業時の相談と就職や他施設への異動の状況が明らかになった。
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