本研究では、わが国における早期教育志向とその背景にある子ども観・教育観の問題について歴史的な検討を行い、以下の二編の論文にまとめた。 1.「『無垢なる子ども』という思想-キンダーガルテンとその受容をめぐって-」 わが国の早期教育志向は、最近になって現われたものではなく、古くは近世の子育て書に「胎教」や「先入主」の教えという形で根付いており、その影響は明治期の幼稚園教育にも及んだ。幼稚園はフレーベルによって教え込みを排した子どもの自己発達を援助する機関として創設されたが、それを受容した日本では反対に教え込み教育が展開されたのである。本稿では、幼稚園の日本的受容の問題について、その受容の背景にあった近世の伝統的な子どもを白紙イメージで捉える子ども観や幼児期の教育がその人の一生を左右するという「先入主」的教育観の存在を明らかにし、そうした子ども観・教育観が一方では幼稚園の必要性を人々に認識させつつも、他方で明治期の幼稚園を教師主導の教え込みに偏らせることにつながっていったことを指摘した。 2.「教育玩具のパラドックス-近代日本における玩具への教育的まなざしをめぐって-」 明治末から大正期にかけての都市新中間層の増大は、子どもの教育への関心を増大させ、今日の早期教育ブームに通じる状況も現出した。そうしたなかで、子どもの遊びを教育的に捉える傾向が強まり、教育玩具の流行がみられるようになるが、本稿では、こうした教育玩具ブームを社会史的手法を用いて検討し、大正期における早期教育ブームの実態と新中間層の教育意識の解明を行った。そして、新中間層の人々が学業や能力によって生活を切り拓かなければならない存在者であり、それは学歴主義の出現という社会状況とあいまって、子どもの早期からの教育の関心となって現われていたことを指摘した。
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