ブルクハルト文化史学の特徴を十九世紀のドイツ史学史のなかに位置付け、その意義を問うことを本研究の主たる目標とした。その結果、ブルクハルト文化史学は、旧来の解釈のような歴史学研究の方法としてではなく、大学における歴史学教育の方法として構成されていたことが判明した。注目すべきは、ブルクハルトが、この大学における歴史学を基礎教育科目と捉えていた点であり、この見解は、当時のドイツ史学界のそれとまったく対照的である。十九世紀ドイツ大学において歴史学は、講座が設置された哲学部の専門学部昇格を機に、学術としての理論、方法、体系性を整え、従来の基礎教育科目的な立場から専門教育的な立場へその地位を向上させつつあった。その過程でドイツ史学界は、歴史学の専門化・制度化に意識的に努めたが、H.v.ジ-ベルが導入した歴史学ゼミナールや彼が創刊した学術専門誌『史学雑誌』は、その具体的現れである。教育としての文化史学は、このようなドイツ史学の在り方を批判するものと考えられる。文化史学の特徴である全体性の強調は、過度の専門化が生んだドイツ史学の瑣末主義に対する、そして、基礎教育的価値の強調は、専門技術化した近代歴史学の教育機能喪失に対する批判であった。近代ドイツ史学の拠点ベルリン大学の招請を固辞して、ブルクハルトが終生バ-ゼル大学にとどまったことには必然性がある。この大学が基礎教育を重視する市民的な小規模大学であり、まさに以上のような文化史学に相応しい場であったのである。 このように、ブルクハルト文化史学を全体的に評価するためには、歴史家個人の思想に集中する狭義の史学思想史的研究にとどまることなく、史学思想外的な分野にまで、研究の対象を広げ、新たな視点に立つことが必要である。とくに、教育史的観点の導入が今後の一層の研究発展に不可欠であることが、本研究の結果明らかとなった。
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