まず、相模野第4期後半における各遺跡への黒曜石の搬入状況を検討した結果、良質な黒曜石と粗悪な黒曜石の両者があり、それらが互いに排他的なあり方を示している状況が明らかとなった。すなわち、良質な黒曜石を主体とする遺跡と粗悪な黒曜石を主体とする遺跡に2分することができた。つぎにこの黒曜石の質の違いの原因を、主として偏光顕微鏡による岩石、鉱物学的な検討をしたところ、この黒曜石の質の違いは中部高地から搬入された黒曜石と箱根方面から搬入された黒曜石に対応していることが明らかとなった。こうした搬入石材のあり方は石器群の内容とも明らかな整合関係が見られ、搬入した黒曜石に対応して製作する尖頭器、ナイフ形石器の形態に明らかな違いを認めることができた。その違いは石器群の技術構造の違いとして認識することができた。また、この2者以外に、明らかに在地石材を多く保有する遺跡も認められ、こうした遺跡もまた、上記の2者とは違った独自の技術構造を持っていることが明らかとなった。 こうした3様の石器群を編年的視点から検討したが、互いに系譜の異なる石器群と考えることができ、時期差として把握することはできない。したがって、ほぼ同時期に比較的狭い地域内に系統の異なる石器群が混在していたと考えることができる。 これまで尖頭器文化出現直前の石器群の複雑な状況は、整理的理解が困難であったが、石材、特に黒曜石の保有状況を検討に加え、技術構造論的な検討をすることで3群に分類することができ、今後の社会・集団論の展開に有効な材料を提供することができた。
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