研究計画者は本年度の研究実施計画に基づき、国内に伝存する『牡丹亭還魂記』の原作脚本の版本、及び明末清初の戯曲選本所収の該書の散齣、清中葉から清末にかけて上梓された脚本・曲譜類を可能な限り収集し、比較検討した結果、以下の結論を得た。 原作は万暦26年の完成以降、明末だけでも10数種類に及ぶ版本が上梓されていること、明末清初の戯曲選本に輯録される散齣には原作との異同が殆ど存在しないことから、当時の読書人層は観劇だけではなく、該書を案頭の戯曲としても受容したものと考えられる。 ところが、巷間における該書の上演に基づいて清中葉に編まれた『綴白裘』や『審音鑑古録』所収の散齣は、曲辞や白、構成において原作とはかなりの異同を見いだすことができる。すなわち、折子戯で上演という演出上の制約から構成を改め、新たな登場人物を加え、叙情性よりも叙事を重んじ、諧謔的な白や蘇白を混入して通俗的な演出効果を企図し、礼教的な対立を緩和して安易な団円を求めているのである。これらの改変は、巷間の俗曲と崑曲との融合、蘇州の経済的な発展による庶民観客の抬頭、乾隆・道光年間の劇場の発達に導かれてのものであり、観客の価値観を重んじた、観客層に相応しいものである。ちなみに、清末に上梓された脚本・曲譜類も清中葉の改変を継承し、現代に至っている。 以上のことから、庶民観客を主たる対象とする巷間の『還魂記』上演においては、原作に見られる読書人向けの観念的な世界から、庶民の生活に密着した内容に置き換えることを主眼とし、明代伝奇特有の華麗さが失われて、情節の展開に重きを置き換いた通俗的な内容へと改められたことが明らかになった。 尚、本補助金による研究成果の一部は『日本中国学会報』第47集(1995年10月発行)に掲載する。
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