研究課題/領域番号 |
06710276
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研究種目 |
奨励研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
中国語・中国文学
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研究機関 | 国学院大学 |
研究代表者 |
伊藤 徳也 国学院大学, 文学部, 助教授 (10213068)
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研究期間 (年度) |
1994
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研究課題ステータス |
完了 (1994年度)
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配分額 *注記 |
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1994年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 自然主義 / 写生文 / 夏目漱石 / 森鴎外 / 魯迅 |
研究概要 |
明治時期の周作人の活動を知る手掛かりになる資料が少ないため、研究の進展は必ずしも順調とは言えなかったが、問題点のいくつかは明らかになった。 1周作人が日本文学に興味をいだくようになったのは、そもそもは、先に日本に来ていた兄魯迅が漱石を愛読していたことが大きな背景としてある。周作人自身日本書を読むのは漱石から始まったと回顧している。「ホトトギス」の「ぼっちゃん」号を周作人はのちのちまで持っていたが、買った当時内容を理解していたとは考えにくい。日本語が読みこなせるようになるのは、留学して三年目つまり1908年あたりからで、漱石の「文学論」(1907年5月)あたりがその最初ではないかと想像される。著名な「文学論」の序文の内容に周作人も深く感じるところがあったようである。というのも、周作人自身もそのころ(1908年)に故国で初めて出版された文学史の著作を批判しつつ展開する文学論を発表しているからである。ただ、漱石のいう漢文学と英文学との決定的差異、そしてその非西洋圏の読者にとっての意味というような問題を、周作人は必ずしも深刻な問題としては受け取っていないもようである。 2周作人が日本文学への愛好を深めることと、魯迅の帰国あるいは日本人婦人との結婚という事件との間に、予期していたような、劇的な因果関係を見出すことはできなかった。しかし、日本社会の中での生活に迫られた周作人が、より一層日本の特に平民文学へ近づくことになったのは、当然の結果といえよう。 3周作人が自然主義や頽廃派に深い関心を抱かなかったのは確かとしても、決してはじめから無視したのではなく、田山花袋でも、谷崎潤一郎でも、一応目を通していることは確認しておく必要がある。
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