本年度はByronの黙示録的崇高を主に18世紀の崇高美学の観点から捉えつつ、彼の革命思想や楽園思想と繋げる方向で研究を行った。具体的にはAddison、Shaftesbury、Dennis、Baillie、Burkeといった人々の著作に辺り、18世紀的崇高が彼の自己離脱の詩学に如実に影響を与えていることが判明した。Byronの革命観については、Guiccioli夫人やカルボナリ党のGambaの文献から検討し、イタリアでの具体的政治的活動とギリシアを楽園として凝視する態度が連動していることがわかった。また詩作品の検討により、革命観と楽園願望の接合の役目を果たしているのが黙示録における楽園奪還の力学であることも確認された。つまり初期のThe Corsair、Bride of Abydos、Laraにおける、秩序転覆の論理における革命的態度がByronのアルプス体験という崇高の影響を受けて、黙示録楽園希求へとロマン的な深度を深めたのである。ManfredやCainでは楽園は超次元的空間へと拡張された。Astarteとの叶わぬ愛の楽園への願望や、無限空間の楽園への憧れを示すCainの彷徨は、Byronの楽園脱地上化つまり黙示録的な次元への昇華と言えよう。Childe Harold´s Pilgrimageではローマの廃墟描写と語り手の天上への憧れから、楽園は古代の過去、永遠の天へと拡張され、黙示録的重みが加えられている。Marino FalieroやSardanapalusは革命の詩であるが、それぞれ黙示録の詩相を帯びている。前者では最後の審判のラッパや天使、後者では壮大なる帝国の破滅が描かれているからだ。またDon JuanはByronのペルソナたるJuanが断片化された楽園を追い求める詩であり、この道行きこそが黙示録的願望の残滓なのであろう。Byronの楽園願望は詩的瞑想から具体的なギリシア遠征へと向かったのである。Byronの試作や生涯そのものが楽園探求の試みなのであって、黙示録的崇高とは楽園願望の表現形式の根幹であったのだ。
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