今年度は、この地域で比較的長い間浸透してきた子産み、子育ての伝統的な習俗を、地域の人々のメンタリティを支えていた世界観と関連づけて分析することを中心として行った。その際、この地域にも広く浸透し、特に女性に絵解きされていた「観心十界曼陀羅」をとりあげ、絵解きを辿ることで人々の象徴的世界を明らかにし、それをこの地域で採集した子産み、子育ての習俗と関連づけて考察した。「曼陀羅」は、「み仏の真理、すなわち宇宙の姿を絵図であらわしたもの」であるが、密教だけでなく宗派に関係なく広く民衆に伝わっている絵図である。この中には、「人生の階段」という人の一生と、それに照応して樹木や花、四季などの自然が描かれており、また地の池地獄や不産女地獄、両婦地獄など女性に関わる地獄も多いことから、女性、特に出産と子育てとのかかわりが象徴的に描き出されているのである。 たとえば、人生の各段階を示す「人生の山坂」は、発達の段階といった分け方とは異なり、月や樹木といった自然と人間の身体との象徴的な関係によって区切られている。そこには身体を通して自然や宇宙とつながりあうという固有の世界観がみられるのであり、採集した子産み、子育てをめぐる多くの習俗はこうした象徴的関係に照らしてみると意味あるものとして確認することができた。それは女性に特有の地獄図の中にもみられ、動物や植物と母子が象徴的関係を通して照応しているのである。犬や竹などをめぐる子産み、子育ての習俗は、こうした関係に照らしてみると子どもに対する配慮に基づいていることがわかる。このように、伝統的な子育て習俗や子育てをめぐる社会関係は、十界曼陀羅図に映し出される民衆の世界観の中に関連づけられ、その意味で安定したものであったということがわかる。 このような、象徴的世界の中に位置づけられ安定していた教育の営みは、昭和初期あたりから変化しはじめる。この時期(5年〜10年)に、京都の助産婦学校を卒業した免許をもった助産婦がお産の介助をするようになり、この頃から伝統的な習俗は迷信的措置として徐々に消えていき、乳児死亡率と間引きが減少して近代的な移行に以降していくようになるのである。それは地域の構造的変化の時期とも対応している。昭和30年あたりから病院出産を中心にさらに子育て状況に質的変化がみられるようになるが、この第二の転換期については次の課題である。
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