日本の植民地下の済州島の住民のほとんどが済州島民で構成されていた。都市部に居住するごく一部の両班(貴族階級)や大地主のような人々のみが「日本人」との接触を経験したのである。済州島人が済州島に居住している際には、それらのほとんどは自らを済州島人であるとか朝鮮人であるとかいう自己認知をもたなかった。しかし、日本において「朝鮮人」や「日本人」との接触のあとには、これらの人々は朝鮮半島からの「朝鮮人」らは済州島人、「日本人」からは「朝鮮人」と認知されるので、済州島人や朝鮮人になった。「日本人」という概念は近代国民国家によるひとつの言説として創り出されたものであるので、「日本人」は実体としては考えられない。日本にいる人々は非「日本人」との関係で、「日本人」を認識するのである。言説としての「日本人」は認識論的な関係性によって実体化されたのである。しかしこの関係性は構造主義者のいうような差異の束としてではなく、権力関係として解釈できるのである。 政治的な言説である「日本人」と「朝鮮人」は国民国家によって創り出された。これらの言説は、「日本人」と「朝鮮人」間の日常的な権力関係に組み込まれており、客観的な実在として実体化されている。さらに、国民国家も国際関係の産物であり、これは東アジアに利害関心をもつ国民国家間の関係に依っている。済州島人は今日に至るまで、ゲマインシャフト的なネットワークコミュニティを維持してきたが、「文化的な日本人」として文化化された「世代」の人々は、日本人と済州島人間の権力関係によって非「日本人」として排除される。しかも、これらの人々は「朝鮮人」としてアイデンティファイされるのである。これらの人々は自らを、非「日本人」である「朝鮮人」としてアイデンティファイするのである。これらの人々にとって済州島人アイデンティティは何の意味もない。
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