1.行為論・価値論の構造を、古典語評価的副詞の用法という言語的側面から問題にすることがこの研究の特色であるが、問題になる副詞は基本的に行為者と行為の両方に同時に言及するものであり、その詳細を明らかにすることによって、人の評価と行為の評価とを統一的に理解する、われわれにとって新しいと言える視点を手に入れることができることが確認された。2.先ず、評価的副詞の用法に関して、プラトン・アリストテレス及び他の同時代或はそれ以前の作者の了解がどのようなものであるかを問題にしてきた。その結果、古典期の作者とプラトンには共通して見出される評価的副詞の或る用法(文副詞としての用法)がアリストテレスには全く見出されないこと、また評価的副詞と抽象名詞の斜格表現の対応関係、評価的副詞と抽象名詞の前置詞表現の対応関係がアリストテレスの場合にはほとんど意識されていないことが確認された。3.次に、ヘレニズム期に於ける行為論・価値論の構造を問題にした。アリストテレス以後、行為論・価値論の構造は大きく変質していったと考えられる。このことは、評価的副詞の用法についての一定の了解が、この時代には見失われたことと無関係ではないと考えられる。他方で、翻訳の問題も含めて、古典語評価的副詞の用法に関するわれわれの理解には多くの問題のあることが明らかになった。そのことは、現代に生きるわれわれが古代ギリシアから受け継いだものが、直接的にはヘレニズム期に変質した行為論・価値論を源泉とするものであるということからくると考えられる。人文主義(ヒューマニズム)の主張もまた、われわれがヘレニズム期のギリシアから受け継いだものの一つであるが、その主張をわれわれの新しい行為論・価値論の視点から改めて見直すとき、その人間論・人格論には問題があることがはっきりした。
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