研究概要 |
古代ガラスの化学組成からガラスの種類をもとめて歴史的な変遷をたどると,時代の特性がよく現れている.紀元前2世紀頃に,中国に起源をもつPbO-BaO-SiO_2系ガラスが日本に伝えられ,さらに紀元前1世紀頃には高鉛含有のPbO-SiO_2系ガラスやK_2O-SiO_2系ガラスが伝えられた.なかでもK_2-SiO_2系ガラスは弥生時代後期には,多量に流通したものと思われる.PbO-BaO-SiO_2系ガラスは、翡翠の色調である緑色が大半であり、K_2O-SiO_2系ガラスは,青〜淡青色,青紺色〜紫紺色,緑〜青緑色などである.特にCoイオンによって着色された青〜紫紺色系のガラスにはMnO含有量が多く,中国で製造されたものが日本に伝えられたと推定されるものである.すなわち,弥生時代には中国で製造されたと推定される,まったく異なった二系統のガラスが日本に伝えられていた. 3世紀の後半頃になると,従来とは異なった2種類のソーダ石灰ガラスが流通しはじめ,PbO-BaO-SiO_2系ガラス,PbO-SiO_2系ガラスは3世紀末頃には流通が途絶えた.古墳時代はソーダ石灰シリカガラスの全盛期で,多彩な色調のガラスは,インドに起源をもつと考えられているNa_2O-Al_2O_3-CaO-SiO_2系ガラスによって伝えられた.弥生時代に全盛をきわめたK_2O-SiO_2系ガラスは,古墳時代になっても存続するが,出土量の割合でみるとわずかであり,大きく衰退し6世紀中〜後半頃には途絶えた.いっぽう,6世紀中頃の遺跡から出土したCoイオンによって着色された青紺色のNa_2O-CaO-SiO_2系ガラスの一部に,従来の青紺色のNa_2O-CaO-SiO_2系ガラスとは異なる,中国の特徴を示すコバルト鉱石を原料としたと考えられるガラスが出現しており,この頃には中国でNa_2O-CaO-SiO_2系ガラスが製造された可能性を示している.古墳時代の終わり-ほぼ6世紀後半頃になると,高鉛含有のPbO-SiO_2系ガラスは再び流通を開始し,7世紀末ごろには日本で初めて高鉛含有のPbO-SiO_2系ガラスの国内製造が開始する.この頃からソーダ石灰シリガラスは大きく衰退して,奈良時代はPbO-SiO_2系ガラスの全盛期となる.
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