本年度の研究実施の第一の目的は、前年度まで回収した食物遺体の同定であった。このうち、奈良・平安時代相当期の那崎原遺跡から出土した植物遺体の検討をある程度完了した。検出された植物遺体は少量であったが、その中にはコムギ、オオムギ、アワ、およびコメの栽培植物が含まれていた。また、これ以外の植物種子は、トウダイグサ科種子、カヤツリグサ科種子、および、カタバミ科種子等、開けた環境に生息する植物の種子であった。種のレベルまで同定することは、大変困難なことであるが、今回検出されたこれらの植物科には、畑や水田に生息する種も含まれている。よって、那崎原遺跡は沖縄本島における最古の農耕を示すものである。すなわち、今回の調査で、沖縄本島においては、グスク以前に農耕が存在したことが明らかとなった。また、現在、グスク時代の森川遺跡および弥生時代相当期の高知口原遺跡の植物依存体を分析中であるが、次に途中経過を報告したい。グスク時代は農耕社会であるが、森川遺跡からは多量の栽培植物種子が検出されている。幾つかのグスク遺跡から栽培植物が報告されているが、これほど多く出土した前例はない。おそらく、5000〜7000粒程の炭化種子が検出されたものと推測する。そのほとんどが、栽培植物で、オオムギ、コムギ、およびアワが主な種子であるようである。最後に、弥生相当期の高知口原遺跡からは、今のところ栽培植物は検出されていない。 本年度研究の目的の第二は、先史時代遺跡から植物遺体を回収することであったが、読谷村教育委員会のご好意で当該村に所在する、弥生相当期の二重兼久原貝塚から回収された植物依存体をお借りした。また、当初、考慮していなかったが、縄文後期から弥生・平安並行期の動物遺体も、現在検討している。明確に述べるに至っていないが、食料として狩猟・採集された動物種に変化が起ことを示すことができそうである。
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