20世紀のアイルランド文学(特に、ジョイス、ベケット、フラン・オブライエンら)の最大の特徴は、言語に対する鋭敏な感性である。借り物の言語としての英語、広い意味での「亡命者」意識、英国による植民地支配など、さまざまな要因が考えられる。また、それらは互いに密接に関連している。本研究では、広い意味での「亡命者」、言葉を換えて言うならば、非定住民、に焦点を合わせて、現代アイルランド文学の見直しを試みた。従来、「都市小説」であるとか「ユダヤ系作家の文学」であるとかいう形で纏められていた枠組みとは別に、「遊動する非定住民」に着目することで、初めて見えてくるものがあると思われるからである。 具体的には、まず、非定住民(定住民から差別され、排除される、ユダヤ人と、ジプシー、アイリッシュ、ティンカーら)が、アイルランド文芸復興期(以後)の文学作品(シング、イエィツ、ジョイスらの戯曲、詩、小説)にどのようにあらわれているかを、テクストに即して綿密に調べていった。シングの戯曲におけるティンカーの重要性、初期イエィツの非定住民への(意外なまでの)関心の高さ、そして、ジョイスの作品に一貫して見られる、エダヤ人、ジプシーらへの共感など、非定住民の視座が現在アイルランド文学研究に大いに役立つことが実証された。また、非定住民への彼らの関わり方の度合やその時間的変化は、アイルランド文芸復興や独立運動に対する彼らの態度の違いを、はっきりと示すものであった。 なお、ジプシーとの関連で重要な19世紀イギリスの作家、ジョージ・ボロウ(ジョイスに影響を与えている)を読み進める過程で、19世紀英文学におけるジプシー、というテーマの重要性を強く感じ、現在、並行して研究を行いつつある。
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