東北方言は語中の前鼻音化音が一音素として機能していると言われている。また特殊音節が長くならないシラビーム方言の地域でもある。ところで言語類型論的観点に立つと前鼻音化音を鼻音(撥音)+有声閉鎖音として解釈することが望ましい。そこで本研究は音声解析システムを使って、東北方言話者(70代男性)のデータから合成音声を作成し、弘前大学の学生20名に聴覚実験を実施した。手順は以下のとおりである。まず最小対話(例:糸-井戸-インド)の3番目の語彙(例:インド)の鼻音部分を有声閉鎖音の破裂の直前の位置から0.03秒ずつ取り除いて行き、10段階の合成音声を作成した。同様に2番目の語彙(例:井戸)の鼻音部分を5段階に分けた。これを弘前大学の学生20名に聞かせて、どの語彙(糸か井戸かインドかそれとも判断不可能かの4つ)として認識するかを調べた。同時に語彙認識の際の判断の基準にしたものは、音の長さの違い、アクセントの違い、鼻音部の有無、有声・無声の違いのどれなのかをアンケート調査をした。また非東北方言地域ではどのように認識するかも調べるため、山口大学の学生にも同様の聴覚実験を実施した。 今回の実験結果から次のようなことが窺知される。本研究の主目的である前鼻音化音を一音素と認定すべきかどうかという点に関しては、鼻音(撥音)+有声音や単なる有声音との境界線が、語彙や個人によって全く違っていたので、特定できなかった。これは聴覚面から見た場合、音素としてきわめて不安定であり、十分機能しているとは言い難い。むしろアクセントやあるいは語彙の使用頻度・使用環境といった、通常余剰特徴や語用論で扱われる要因が大きく影響している。
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