研究分担者 |
SONGKOON Cha マハーサーラカム大学, 東北タイ芸術・文化研究所, 研究員
鈴木 玲子 東京外国語大学, 外国語学部, 講師 (40282777)
黒田 景子 鹿児島大学, 法文学部, 助教授 (20253916)
桜井 由躬雄 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 教授 (80115849)
CHANTACHON S マハーサーラカム大学, 東北タイ芸術・文化研究所, 研究員
SONGKHUN Ch シーナカリンウイロート大学, 東北タイ芸術・文化研究所, 研究員
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配分額 *注記 |
12,300千円 (直接経費: 12,300千円)
1997年度: 4,100千円 (直接経費: 4,100千円)
1996年度: 4,100千円 (直接経費: 4,100千円)
1995年度: 4,100千円 (直接経費: 4,100千円)
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研究概要 |
本研究は、大陸東南アジアの山間盆地と平原部で現在見られる村落立地はいつごろどのように形成されたのかという問題を、タイ国北部と東北部の二箇所について実地調査を行うことによって考察しようとしたものであった。具体的調査地としては、タイ国東北部ではヤソ-トン県マハ-チャナチャイ郡を、北部ではランプーン県パーサーン郡を選択した。オーラルヒストリーに基づく研究方法としては、ある地域内の全村落を訪れて,村長,副村長,あるいはその村の歴史に詳しい(と村人たちが認識する)人に対し,あらかじめ用意していった内容すべてについてもれがないように質問することを基本とした。そのように得られた情報は,村落単位で見れば必ずしも事実を示すと言えないものも含まれていようが,総体としてある傾向の事実を示す蓋然性は高い。実際,この方法によって得られた情報は、東北タイ調査においては、移住・村落形成の大きな流れ、つまり、ヤソ-トン県マハ-チャナチャイ郡の村落開村者の多くがシ-サケ-ト県とウボン県方面からやってきたことを示していた。しかし、北タイ調査においては、その方法によっては東北タイのものほど明確な結果がでてこなかった。これは,19世紀以前において,北タイにおける移住・村落形成の理由が東北タイにおけるものと異なっていたということに原因が求められる。北タイにおける移住は,18世紀末から19世紀初頭において,戦乱のために人がいなくなってしまった土地に再び人を住ませることを意図した政治権力による、武力を背景にした強制移住という形で行われた。そして一度定住した人々は,周りに派生村をつくるという形で,再移住を行った。それに対して,東北タイにおける同時期の移動は,干ばつ,洪水とそれに伴う土地の不足,疫病などから逃れるために,村人自身の判断によって行われていたのである。
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