研究概要 |
本発明は、これまで不明であったインフルエンザウイルスの活性化とウイルスの細胞内侵入に不可欠な気管支粘膜の分泌するプロテアーゼ(トリプターゼクララ)の作用機構を明らかにし、その阻害剤により新しいインフルエンザウイルスの予防法と治療法を開発することを目的として研究が遂行された。 1)ヒトの気道分泌液中のトリプターゼクララ阻害物質 本研究においてヒトの気道および肺の分泌液中に2種類のトリプターゼクララ阻害物質のあることが明確となった。1つは肺サーファクタントでトリプターゼクララを吸着してその作用を抑制する。十分な阻害効果を示すためには、3〜5mg/mlと比較的高濃度になることが必要であるが、肺および気管の粘膜は肺サーファクタントでおおわれておりウイルスの細胞への吸着を物理的に阻害するだけでなくトリプターゼ活性を抑制して抗ウイルス作用を示すことが明らかとなった。他の阻害物質は、気道分泌液、唾液、涙液などの粘膜分泌液に含まれるアンチロイコプロテアーゼ(ALP)であった。ALPはN末端側とC末端側の2つの機能領域に別れている蛋白で、トリプターゼクララの活性を阻害する領域はC末端側に局在することが明らかにとなった。しかしN末端側はC末端側の阻害活性を安定化し、2つの機能領域は相互に影響しあっている。本研究では、さらに新しく見出したALPの抗ウイルス作用の活性基を同定し、活性発現に必要な最小単位を決定するため、ALPの遺伝子をヒトの耳下腺cDNAライブラリーからスクリーニングして種々の変異体を大腸菌に発現させ検定に用いた。発現した種々の長さのC末端側のペプチド(Pro^<50>-Ala^<107>,Asn^<55>-Ala^<107>,Cys^<64>-Ala^<107>,Cys^<71>-Ala^<107>,Phe^<79>-Ala^<107>)の中で天然型ALPとほぼ同程度の活性を示したペプチドはPro^<50>-Ala^<107>とAsn^<55>-Ala^<107>で、これらのペプチドより短くなるとその活性は著明に低下した。一方ALPはこれまでエラスターゼの強い阻害剤として報告され、その活性基はLeu^<72>-Met^<73>にあるとされていた。そこでこの活性基の変異体を作成し、トリプターゼクララの対する強い阻害剤が作成できるか否か検討した。用いたALPの骨格はCys^<64>-Ala^<107>でMet^<73>をArg,Lys,Val,Leu,Tyr,Trp,Pheに変異させたが、阻害活性に著明な変化は認められなかった。しかしLeu^<72>をArgかLysに変えることで阻害活性の増強が認められた。一方培養細胞(MDCK細胞)へのインフルエンザウイルスやLLCMK2細胞へのセンダイウイルスの感染は1μMの精製天然型ALPおよびC末端側ALPでほぼ完全に抑制された。さらにマウスに適応されたインフルエンザAsia株をラットに感染させるモデル実験動物システムにおいても、気道内に投与したALPは著明な抗ウイルス作用を示しインフルエンザウイルスの肺での増殖を抑制した。 2)インフルエンザウイルスを活性化するトリプターゼクララのブタ肺からの精製 これまでラットの肺より精製し酵素学的性質が明らかにされてきたトリプターゼクララは、試験管内および培養細胞系でインフルエンザウイルスHA蛋白を限定分解し感染性を発現させる。しかしラットはインフルエンザウイルスに本来感染性を示さない。従ってインフルエンザウイルスにより高い特異性を示すトリプターゼクララがヒトに存在すると推定される。そこでインフルエンザウイルスが感染性を示す数少ない動物種の1つであるブタの肺を用いてインフルエンザウイルスの活性化プロテアーゼの精製を試みた。完全精製にはまだ至っていないが、ブタ肺から部分精製されたトリプターゼクララは、ラットのトリプターゼクララに対する抗体とは反応しないが、ALPベンザミジン、アプロチニンといったプロテアーゼインヒビターで強く阻害されることから、ラット肺のトリプターゼクララと機能的には類似した酵素であることが推定された。現在この酵素の完全精製を試ている。
|