(1)春秋末年から戦国時期にかけて時期の青銅器の文様(特に人物画像文様)の分析を通じて、このころに、中国の宗教観念に大きな変化があり、その変化の中から神仙観念(特に不死の観念)も結晶して来たであろうことを確かめた。 (2)前漢時代中期における中国社会の構造的な変化が、神仙思想にも大きな影響を及ぼし、それまでの帝王の神仙術から、一般の人々にも開かれた神仙観念が展開したことを、文献(特に「史記」封禅書)と文物との双方の分析から確かめた。 (3)前漢後半期から後漢の時期の、一般の人々にも開かれた神仙観念について、その宗教的な機能について知ることを主眼とし、墓中に描かれる神仙図像について、特に位置関係を重視して分析を加えた。そうした分析から、この時期の神仙観念が祖霊観念と密接な関係を持ち、葬送儀礼とも深く関わりあっていたことを確かめた。 以上のような知見を纏めて、成果報告書(冊子体)を作製した。 なお、この期間に執筆した「神亭壺にみる仏教受容の一様相」(東方学会50周年記念論文集)は、江南地域において、土着の民間信仰の上に神仙観念がかぶさり、その基礎の上に、仏教が受容されたことを分析したものである。また「石鼓文製作の時代背景」)「東洋史研究」に掲載予定)では、秦の始皇帝の神仙探求が、単に個人的な不死・長寿の願望によるだけでなく、民衆層の宗教信仰を統合するものであったことを論じた。
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