研究課題/領域番号 |
07610031
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
宗教学
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研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
木幡 藤子 広島大学, 総合科学部, 教授 (90225475)
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研究期間 (年度) |
1995 – 1996
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研究課題ステータス |
完了 (1996年度)
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配分額 *注記 |
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1996年度: 400千円 (直接経費: 400千円)
1995年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
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キーワード | 五書研究 / ヤハウィスト / 祭司文書 / 神観 / 人間観 |
研究概要 |
本研究は、ヤハウィスト(以下Jと略記)と祭司文書(同じくP)という二つの文書資料のそれぞれの神観と人間観の特徴を明らかにするものである。方法としては、それぞれのエジプト脱出物語において、神と人間について、物語記述と語られる言葉の分布、物語られていることといないこと、さらに特に言葉に注目し、神ないし人間が誰に語り、誰に語らず、何を語り、何を語らないかを分析した。その結果以下のような、各文書資料に独特な神観と人間観が明らかになった。 Jの描き出す神は、人間に語りかけ、交わりの可能性を開く神、そして人間に自由に決断させる神である。したがってこの神は、先をすべて見通すことはできない。次に、Jの描く人間は、自由に振る舞い、自律的に自分で物事を判断し、よく語る。しかし、人間は交わりの可能性が与えられているにもかかわらず、それを実現するようには決断しない。つまり神の語りかけにふさわしい応答をしないのである。そして決断の自由が与えられているがゆえに、決断の結果は人間の責任となる。 Pにおいて神は人間に命令するか、これから自分が行うことを告げる。神が主語の動詞をひろって、何を、誰に、どう行うかを、検討したところ、一人ですべてをしようとする神であるという結果が出た。その神が、人間に期待することは、聞き従うことである。しかし、人間は重要なところで、神に従順でない。しかし神は人間の不従順をうけとめ、新たな行動をとって、挫折を乗り越えると描かれている。 言葉に関しても、両文書資料は、次のような大きな違いを示している。Jでは、神が人間に語りかけるのに応じて、人間が言葉で応答し、また人間間でもいきいきと言葉が行き交う。ところがPにおいて神は人間に命令し、自分の行為を一方的に告知するだけなので、人間が神に言葉で応答することもほとんどなく、人間の間でも言葉による交わり、対話は成り立っていない。
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