本研究は、複製メディアが環境となった現代の文化状況に生きるわれわれの行為、世界観、アイディンティティーの重大な変容と独自性を、複製メディアの根幹をなす写真の哲学的・美学的分析をつうじて解明しようとする企てである。今年度はとくに写真を独特の物語行為ととらえることによって、そのような変容の一端を示そうとし、その成果は美学会において発表した。 写真画像の独自性のひとつは、その時間構造に関わる。写真が刻印するのは〈かつてあった〉実在性である。しかも現実にむかってシャッターを切るということは、現実のできごとにそのつどひとつの終止符を打つことである。ところで始まりと終わりによって構造化されたひとまとまりのできごとは、物語である。つまり写真とは、その生成のプロセスからして自然や世界や人生つまりは現実を物語の断片として構造化する装置である。写真の物語構造にあって、ディテイルは「物語素」である。写真とは、物語素の束である。写真を見ることは、〈かつてあった〉、そして〈すでにおわった〉できごとに、〈いま〉立ち会うこと、そのようにしてひとつの物語を新たに語ることである。それは、できごとのシークエンスはあっても物語構造をもたない年代記とは異なる。それはまた、そこに写りこんでいる物語素が喚起する個々の物語に関心をよせる点で、個々のできごとよりはそれらの間の大きな変化の説明を関心事とする歴史の物語ともちがう。それではひとは、自分の写真についてどのような物語を語るのか。自我や精神、自伝や自画像といった自己についての伝統的な物語は、見る主体と見られる客体とが内面の記憶においてひとつに重なるいわば鏡像である。だが写真にあってひとは他者のまなざしで自分と対峠し、改めて自己の物語を語る。写真はわれわれに、新たな自己了解のありかたをもたらしたのである。
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