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江戸後期の山形および松前における早坂義川斎・文嶺父子の画業について

研究課題

研究課題/領域番号 07610060
研究種目

一般研究(C)

配分区分補助金
研究分野 美術史
研究機関北海道開拓記念館

研究代表者

林 昇太郎  北海道開拓記念館, 学芸部, 学芸員 (40150156)

研究期間 (年度) 1995
研究課題ステータス 完了 (1995年度)
配分額 *注記
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1995年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
キーワード江戸後期 / 山形城下 / 早坂義川斎 / 早坂文嶺
研究概要

山形市内およびその周辺に現存する義川斎と文嶺の作品調査を実施した。写真撮影を行い、文嶺の作品の内すでに写真撮影のすんでいるものとあわせ、ふたりの作品を集成した。つだ、山形市史編纂史料など江戸時代の山形城下に関する文献史料や義川斎と文嶺ゆかりの寺社の古文書などを調査した。
義川斎の作品として、小白川天満神社の絵馬や竜門寺山門の天井画などを確認した。これらの寺社は山形市内では代表的な寺社である。また、1820(文政3)年に出版され、当時の山形城下周辺の観光案内書ともいうべきものである『湯殿山道中一覧』をてがけるなど、山形城下では相当需要の高い絵師であったことがうかがえる。一方、文嶺の作品について、道内のものはすでに確認したところであるが、山形市内においては、代々紅花商を営む旧家や庄屋であった旧家など当時の有力者の家に伝わる作品を確認した。さらに、義川斎・文嶺がともに山形城下周辺の有力者が興じていた俳句会に参加していて、その俳句集の挿絵を描いていることも判明した。また、山形城下に店を構え、紅花を中心に扱っていた近江商人のひとりで、1821(文政4)年に松前にわたり、後に小宿となる山形屋八十八と親交があったことが、山形市史編纂史料から見つかった。山形八十八との関係は、文嶺が松前に移り住む背景となっていることが考えられる。

報告書

(1件)
  • 1995 実績報告書

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公開日: 1995-04-01   更新日: 2016-04-21  

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