本研究では、日本教育界において、日清戦争期に国語学者の上田万年により提唱され、当時の国語政策の基本理念をなしていた、「日本語は大和民族の精神的血液である」とする国語観が朝鮮併合に至る間に日本語による朝鮮民族同化論へと変化した過程を解明し、その際に日本語の果たすべき役割の転換を正当化しこれをささえた論理を明らかにした。 その結果、日本語教育の役割論は以下の過程を経て変化していった。日清戦争頃は朝鮮人開化の手段として外国語として教える「開化」論、日清戦争終決から日英同盟前までが「開化」「実利」論。日英同盟以降保護国時代は、日本人と意思疎通の手段および職業や生活面での必要性から「開化」「実利」面を重視するとともに、「日本に信頼」「彼我の感情融和」「思想感情の融和同化」「日本化」といった「同化」論の前段階的な役割期であった。そして日韓併合以降はついに「同化」の役割が明言され、同化と同じ意味で「統一」「融合」と、同化の最重要手段としての役割が付与された「同化」論一色となった。このような日本語の役割転換を支えた論理は、当時の哲学者であり教育思想面でも強い影響力をもっていた井上哲次郎などにより提唱された人種観であった。これは、日本人と朝鮮人は同一人種とみなすことで、日本語は同一人種の国語であるとする考え方であった。この考え方により、日本語は日本人の精神の表れであるから思想融和の手段として、ひいては同化の手段とできると考えられたのであった。さらにこの論理は、日本語を母語としない民族を国語により同化した経験(アイヌ、琉球)および天皇への感得、朝鮮人への強烈な蔑視を前提していたことが解明された。
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