本研究では、昭和初期の大阪市立聾唖学校を中心とした併用法(大阪市立校ではORAシステムと称していた)の実際を明らかにするとともに、これら手話を認める立場に対して川本宇之介ら口話法を推進してきた我が国聾教育の本流がどのような批判を展開し、また、手話擁護派はどう反論し、どのような実践を展開したのかを明らかににした。別紙研究成果報告書にまとめた主な内容は以下の通り。 ・手話口話論争の前史-純口話法普及の旗手川本が大正末にどのような主張、行動をとったか、当時の川本の聾教育界、官立東京聾唖学校内での位置を明らかにしながら示した。 ・純口話法とは何か-純口話法の定義とその推進団体である「聾口話普及曾」について述べた。 ・最初の論争-川本ら口話法推進派と高橋潔ら手話擁護派の最初の論争と思われる「日本聾唖教育曾」第一回総会での論議の様子を明らかにした。 ・大阪市立聾唖学校の動向-大阪市立聾唖学校の創立から高橋の校長就任の時期までの概観と高橋の経歴と人物像を記すとともに手話擁護に努力する同校の教員集団の姿を彼らが執筆した論文一覧を示しながら紹介した。 ORAシステムと川本らの批判-「ORAシステム」とはどのようなものかを同校関係文献、当時の写真等も用い、その生徒主体、障害受容を重視する同校の特色を明かにし、示した。また、川本らの批判、当時の口話法推進校の状況を回想する文献も合わせて紹介し、手話-口話論争下の教育現場の状況を示した。 ・大阪市立聾唖学校の教員構成-聾唖教員が教員全体の3分の1を占め、師範出身の教員が少数である同校の教員スタッフの特徴を『聾唖年鑑』(1935)から明かにし、そのことと同校の教育の特色との関連を論じた。
|