研究概要 |
ある社会の「歴史」は,いかにして文化人類学の主題になりうるのか。この問題を実証性のレベルで検討してみるために,本研究では沖縄の「フォーク・ヒストリー(野史)」に関する資料の収集と分析を行ってきた。おそらく研究の領域は2つに分かれよう。すなわち,琉球王国時代の人物や事蹟と結びついて語られる口頭伝承や系譜と,近代史の中で村落や島嶼社会の住民が体験した出来事や生活変化に関する口述史である。本研究では,主としてその後者を取り上げた。 現地調査の対象にしたのは,宮古の池間島で1906年に始まったカツオ漁業,および沖縄諸島東部の伊計島で1923年に設立された村落の共同店であり,調査の結果,以下のような知見を得ることができた。 1.池間島は,日本本土からカツオ漁業を導入することによって,明治期終盤から大正期の半ばにかけて急速に専業漁村としての性格を強めていった。当時の沖縄で,近代世界への順応に成功した島嶼村落の1例と言えよう。その過去における成功が,今日では池間の人々の集団的アイデンティティを支えている。彼らは今や「池間民族」と自称し,「エスニック・アイデンティティ」さえ彷彿させるような,比類のない自己意識を保持しているのである。 2.伊計島では,大正期の終わり頃に,1兵士として日露戦争を経験した人物(キ-・パーソン)によって,村落の共同店が創設された。以来,共同店を基盤にした強い共同体の紐帯が存続し,それがこの島の独得な自律性を育んできたと考えられる。 「フォーク・ヒストリー」を文化人類学の主題とするときには,実にさまざまな問題が生じてくる。本研究では,その一端を現地調査によって明らかにすることができたと考えている。
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