研究概要 |
この研究は,これまで十分に研究されてきたとはいいがたいアイヌ民族の小型毛皮獣狩猟活動について,時期を近世末期に絞り,その状況の描写を試みた。その結果、少なくとも18・19世紀の蝦夷地におけるアイヌの狩猟活動は,基本的食糧の一つであったシカ猟のほかは,交易商品としてのテンやキツネ,カワウソなど小型毛皮獣狩猟が中心であったことも明らかにすることができた。また,当時蝦夷地は松前藩領(一時幕府直轄領)であり,場所請負制のもとに,商人が割り当てられた各場所においてアイヌの人々を労働力として雇い,漁場労働に従事させていた時代であったが,一方,松前藩としても,大陸や本州方面との交易品を確保する必要から「軽物」と称する品物,たとえばワシ・タカの羽,昆布それに小型獣の毛皮などを,各場所の商人を通して一部のアイヌの人々に取らせ,提出を求めていた。この先行研究を踏まえ,かかる小型獣狩猟活動は,アイヌが自発的におこなった活動というよりむしろ,「強制」された狩猟であったと位置づけた。さらに,アイヌの小型獣狩猟具を分析し,小型毛皮獣(キツネ,テンなど)の狩猟具とくに罠に注目し,その類型化をおこなった。それと北東アジア諸民族の罠とを比較した結果,北東アジア地域自体,きわめて罠猟が発達した地域であること,地域によって特徴もみられる反面,「仕掛け弓」や「弾弓」と呼ばれるものに関しては,民族を越えて類似していることがわかった。この類似について,単なる伝播ととらえるのではなく,とくに松前藩が小型獣の毛皮を求めた背景には当時大陸において展開した清朝や帝政ロシアの毛皮需要があったという筆者らの先行研究を援用して解釈した。すなわち,アイヌを含む北東アジア地域諸民族間の罠の類似は,同地域に展開した小型獣の毛皮の需要が潜在的な下敷きになり,その構造体の上に拡がっていった結果であると考え,歴史的必然性において説明できるとした。
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