研究概要 |
本研究の目的は、奈良・平安初期にすでに武士が存在していたという歴史的事実をふまえ、その歴史的意味づけをするところにあった。今回の研究によって、以下の諸点が明らかになった。1,日本の古代の武士は、東アジアの諸国、とくに中国唐〜宋代の武官や朝鮮高麗王朝の武班などと同様、王と首都を守る衛府の武官をさしており、その身分の認証は王権や国家よりなされた。つまり、彼らは平安中期以降登場してくる地方農村の在地領主とは直接関係ない都市的存在であった。2,一○世紀になると、旧来の武士の多くは文人に転向し、武士の家柄は、新しく台頭してきた承平・天慶の乱の勝利者の家系(源氏・平氏・秀郷流藤原氏)に固定してゆく。3,中世の武士の家へと発展していったのは、彼ら下級貴族の「兵のイヘ」であった、などである。上記に加え4,一一世紀を境に武士の地方への進出(在地領主化)がはじまる。5,都の武士政権(平氏)が、治承・寿永内乱で、地方の無名武士や武に堪能な在地領主層(まだ武士にいたらない武的存在)の結集した力により打倒され、幕府開創後、その首領である源頼朝が彼ら(御家人)に伝統的な武芸を奨励したため、武士=在地領主の観念が定着した、などの点も展望できるようになった。また、6,日本の武士の戦士としての特徴を、主に武器や合戦のあり方を通して明らかにするよう努めた。さらに、7,頽廃堕落した平安貴族支配のもと、武士が地方農村で力量を蓄え、やがて貴族支配を打倒し、新たな中世的な社会の建設者となってゆく、とする今日の常識を批判し、そのような通念がどのような契機と歴史的経過のなかで形づくられていったのか、ということを解明した。
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