1、平家時代の受領考課制度については、これまでに一〇世紀後半までの成立・展開過定について検討を行ったことがあるが、今回の研究ではそれを踏まえて摂関・院政期の受領功過定及び受領考課制度について考察を加え、以下のような検討結果を得た。 摂関期の受領功過定については、かつては形式的で意味のないものと考えられていたが、近年ではそれが受領統制に果たした役割を積極的に評価しようという意見が有力となっている。しかし、当時の国家財政のあり方を調べてみると国家財政の中で調庸以下の従来の財政収入が占める比重が小さくなる一方で、召物・国宛や成功は逆にその比重は大きくなり、そのため受領功過定の果たす役割が小さくなる。また受領考課制度についても、摂関期になると天皇・摂関家の関係者が優先的に大国の受領に任じられるなど、恣意的な運用が行われるようになり、次第に解体・形骸化していく。 2、院政期になると調庸以下の従来の財政収入の国家財政に占める比重が一層小さくなり、受領功過定の役割の低下がさらに進行する。その一方で、院司受領などを中心に遷任・重任を繰り返して受領功過定を受けない者が多くなり、受領功過定の持つ統制機能も次第に失われていく。また、院政期になると恣意的な受領人事がさらに進行し、そのため一般の受領は優秀な成績を修めても再任が困難になるなど、受領考課制度はもはや有効に機能しなくなる。九世紀末に成立した受領考課制度は、摂関期以降解体・形骸化の道をたどり、院政期になってその終末を迎えるに至るのである。
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