研究概要 |
小栗忠順は,徳川家を保存する方法として徳川将軍をナポレオン3世のような地位にし,大名を廃止して郡県制度をしくという青写真をもっていた。すなわち,廃藩置県はこのときすでにもくろまれていたのである。歩兵・騎兵・砲兵の三兵からなるナポレオン1世の近代兵法は,武士階級が身分的特権として軍務を独占しているという体制とは相入れない要素をもっており,したがってこれを徹底しようとすれば,軍事技術のみではなく徴兵制・義務教育制といった近代兵法を産み出した社会・政治制度の研究が不可避となるであろう。事実ナポレオンの戦術をいち早く消化したのは,幕府陸軍ではなく百姓・町人・足軽・郷士らによって組織された長州奇兵隊においてであった。 このように徳川期の日本社会はかなり複雑な性格をもっており,簡単には規定しがたいが一応解体期の封建社会とみておくのが適当であろう。なぜなら,封建的主従関係の頂点に立つ徳川幕府は,封建君主というには著しく中央集権的であったし,また徳川期の社会は相当高度に発達した商品経済と商人資本とを内包していたからである。しかも最末期の徳川政権は「幕府」という形を脱して,立憲政体に移行しようとしていたのである。
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