研究概要 |
中国の医療伝道は、1834年美国公理会より派遣されたパーカー Parker, Peter(中国名、伯駕)によって開始された。彼は1835年広東眼科病院を創設したが、毎日、非常に多くの患者を診察しなければならなかった為に、キリスト教を宣教する時間的余裕が殆んどなかった。これは彼にとっては大きな悩みであった。 1838年、パーカーはカレッジCollege, T. ヤブリッジマンBridgman, E. C. との協力のもとに中国医療伝道会を設立した。この会の目的は、キリスト教伝道と密接な関連のもとに医療事業の発展を計ることであった。 1839年、ホブソンHobson, B. (合信)が中国に到着した。彼は日常の医療活動を熱心におこなったが、やがて中国にとって、可能な限り早く、中国語医学書を刊行することが必要であると考えるようになった。これは非常に困難なしごとであったが、苦心を重ねた末に、4種の中国語医学書を執筆した。 1854年にカ-(嘉約翰)が中国に到着した。彼は非常な努力の末に、近代薬学に関する中国語著作を刊行した。この後、彼は多くの中国語医学書を執筆した。 これらの中国語医学書が、幕末明治期の日本に船載されたことは注目すべきことである。日本の知識人は中国文を比較的容易に読むことができるので、これらの書物は、日本人が西洋近代医学を摂取する上において、非常に有効であった。
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