研究概要 |
1919年1月闘争を経て国民議会の成立後ヒルファディングは,協議会制度を経済と政治で民主主義を強化する制度と位置づけ、民主主義擁護の立場では革命初期から一貫していた。1月のルール・スト協議で彼は、自ら起草した社会化委員会の声明案の発表を政府に要請すると共に、政府布告の作成にも加わった。さらに彼は中央協議会に対しても委員会文書を執筆して、協議と決議を促した。彼は社会化委員会内の炭鉱社会化に関する審議で、経済全体の組織化を重視しながら、産業及び企業の自主管理を強調し、重要な経営問題に注意を払った。そして当事者の共同決定を尊重し、労働者の同権を擁護した。ヒルファディングらの多数派報告は独占的支配や官僚主義的国有化に反対しつつも、少数派のように私有のまま規制するのではなく、独立した法人への所有移管によりそれらと決別し、国家の限定的権限の下で、労働者や消費者も参加した経済的民主主義及び経営内の民主主義を基礎として、経営に広範な決定権と活動の自由を付与することを提起した。自治体化については彼は自治権や議会情勢を考慮して包括的な枠組み法案を支持し、そして遠洋漁業社会化ではさらに弾力的な経営を勧告した。3月闘争では彼は連立再編を試みたが果たせず、あらためて労働者の両極分裂を深刻に受けとめ、資本主義の継続を予想した。社会化委員会辞任後の第2回労兵協議会で彼は、社会化法を混合経済的な労資協調ととらえた。そして7月の第10回労組会議では、経済省の共同経済構想がカルテルを法的に促進するものだと批判した。彼自身は独占的部門の社会化を即時開始するよう主張し、同時に経営者や技術者の役割の重要性を強調し、生産の安定と効率性にも考慮した。彼は民主主義的改革を追求したがゆえに、それだけ一層大衆とりわけ労働者の動向にたえず注視し続けた。彼の主張が政府の経済省安否認に一定の影響を及ぼしたことも確認される。
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