研究課題/領域番号 |
07630065
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
経済史
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
加瀬 和俊 東京大学, 社会科学研究所, 教授 (20092588)
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研究期間 (年度) |
1995 – 1996
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研究課題ステータス |
完了 (1996年度)
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配分額 *注記 |
1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
1996年度: 400千円 (直接経費: 400千円)
1995年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
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キーワード | ライフ・コース / 転職 / 失業 / 職業紹介所 / 世帯形成 / 住居 / 都市形成 / 農家二三男 / ライフコース / 初職選択 / 都市流入者 / 職業紹介 / 縁故採用 / 朝鮮人渡航者 |
研究概要 |
戦前日本の農業就業者数はほぼ一定に保たれていたから、農家の高い出生率を基盤として急増した人口は、農業外に就業機会を見いださざるを得なかった。農家二三男の非農業での就業は、徴兵検査前初戦タイプと、微兵検査後初職タイプ(学卒→自家農業従事→徴兵検査→初職従事)に二分されるが、日露戦後以降〜1930年代においては、職工・職人は前者から、日雇的下層労働者は後者から供給された。このほかに、中学校その他の各種の中等教育機会を得て都市中間層への条件をつかむ者もあった。また、自動車運転手・船夫等、都市への人口集積に関連した緒専門職も増加し、中等教育を受けられなかった者の中からもここでの就業を経て安定的な就業条件をつかむものが形成されていた。 農家子弟は職業を確定してから都市に異動したのではないので、景気の変動によっては一時的に失業者となった。失業者の中には、滞留的な層とは区別される、通過的な若年求職者層が分厚く存在しており、1930年代における景気好転の際にはこれが成長的企業にとっての手近な労働力として機能しえた。 農村から大都市に流入した者には、新世代を扶養する必要がなかったから、その賃金は若年時には単身賃金で足りた。成長産業の労働者は若年者に集中していたから、低賃金を基盤にした国際競争力はそうした労働者が供給される限りで持続しえた。こうした低賃金ゆえに、住宅の取得は一般労働者層には不可能であり、これが都市資産家層の貸家・貸間供給に対する需要を形成していた。 家賃をはじめとする一般生活費の必要性ゆえに、都市労働者の老後生活には、恩給、共済年金制度を有する公務労働者等を除けば、子弟との同居が不可欠であった。かくて都市流入階層は、若年時=核家族、老年時=二世代家族を形成した。
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