日中戦争から太平洋戦争期の樺太植民地財政を支えたのは、森林払下収入と法人資本税、資本利子税、相続税、外貨債特別税、揮発油税などの戦時増税であった。 加えて当該期の樺太歳入で忘れてはならないのが、石炭の増産対策費としての増産奨励金、新坑開発助成金、買取価格補償金として樺太財政に繰入れられる一般会計からの補充金である。この補充金はとくに太平洋戦争期には巨額になり、しかも樺太と同様戦時の石炭生産を担う朝鮮や台湾とは比較にならないほどの大きな額であった。 歳出では、拓殖事業費と石炭の増産関係費、そして臨軍会計への繰入れが3本柱であった。鉄道は収入こそ一定の金額があるが、収益はそれほどでもない。 森林払下収入は、増伐に次ぐ増伐で資源保護の限界といわれた標準年伐量1300万石はるかに超過する2000万石を前提に、歳入総額の70%から90%を占めている。これらの伐採森林は石炭の増産を支える坑木需要と軍用材が主なものであった。 歳出で重要な経費は、拓殖事業費は鉄道の建設改良、国有林事業の経営、道路と港湾の改修が主要な事業であり、とくに港湾の修築は石炭と木材、そしてパルプの日本本土への移出が最重要課題となった関係もあって巨額の財政資金が投入された。 こうしたインフラ投資にもかかわらず、すでに1942年度以降船腹問題が逼迫して石炭と木材の滞貨が起こっていた。 1942年4月に樺太の行政は内地に移管される。しかし、森林行政は農林省に移管されずその行政的統合は不徹底に終わった。
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