研究概要 |
新潟県内の江戸初期から明治期までの建築工匠約1,560名(延べ人数)をデータベース化したので,このなかからいろいろな要素で工匠を抽出することが可能になった。出雲崎大工が関係した社寺建築の棟札を調査すると,2枚板を合せた棟札が多い。このような棟札の形態は珍しいと考えられるので,工匠の系統はもちろん年代との関係からも検討すべき課題といえる。出雲崎は佐渡相川の金銀産出の盛衰と密接な関係があったので,この面からも出雲崎大工の発生とその出稼ぎの問題について検討する必要がある。今回の調査によって,出雲崎には江戸後期から柏崎の大工棟梁の活躍が認められた。当時,出雲崎には大工職人が多かったにもかかわらず,どうして柏崎の大工棟梁が活躍できたのか,新たな疑問が出てきた。また,出雲崎町海岸地区には火災による被害をできるだけ最小限にとどめようと,土蔵造の寺院本堂や神社建築が見られたことも大きな発見であった。さらに,この地区の寺院本堂に妻入り形式が多く採用されたのは,やはり度重なる火災や山崩れによる本堂普請の経費節減による工匠の工夫によるものと考察した。すなわち,妻側の正面には彫刻をつけるなど豪華に見せる反面,両側面や背面はきわめて簡単な造りにして,経費の節減をはかっていたことがうかがわれた。
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