研究概要 |
ロシアにおける化学研究の歴史的展開を19世紀後半を中心に歴史的に概観する研究を行った。ロシアにおける化学研究の歴史では三つの結節点があると考えられる。 その第1は、1725年12月に正式の活動を始めた科学アカデミーにおける科学研究で、とくにロシアではじめて化学の研究をおこなったロモノ-ソフ(М.В.Ломоносов,1711-65)が注目される。 ロシアの科学体制の第二の画期は、19世紀中葉の、いわゆる「大改革時代」である。この時期、ロシアの科学研究の中心は、科学アカデミーから、大学(ロシアでは主として19世紀初頭に創設)に移りつつあった。これは、西欧で19世紀初めから始まった、いわゆる「科学の専門化・職業化」の動きに連動したものであった。ロシアの化学者たちは、まさにこの時期の1868年にロシア化学会を創立させた。本研究の中心は、このロシア化学会の19世紀後半における専門学会としての活動である。19世紀のロシアの化学者のなした発見・研究はこの化学会と結びついている。メンデレ-エフ(Д.И.Mенделеев,1834-1907)による元素の周期律発見はその典型であり、とくにメンデレ-エフの研究がロシア化学会の支えられたものであることを明らかにした。 ロシアの科学体制の第三の結節点は1917年のロシア革命であるが、とくに1929年から始まったスターリンによる「上からの革命」は、革命前に教育を受け、革命後もロシアにとどまった旧世代の化学者に苛酷な選択を強く迫るものであった。二人の有名な化学者、ヴェルナツキ-(В.И.Вернадский,1863-1945)とイパ-チエフ(В.Н.Ипатъев,1867-1952)をとりあげてその対応を簡単に分析した。 1930年代以降の新しい化学者世代の分析は今後の課題としたい。 また1991年末のソ連邦崩壊後の科学体制の変化の現状分析も補助的に分析した。
|