上代語や風土記から古代人の環境・空間認識を採り、新しい見解を提示した後、1つには、古代荘園図中、最も情報量の多い「越前国足羽郡道守村開田地図」を事例として、その記載事項の歴史地理学的検討によって道守村の地域環境を復原すると共に、絵図自体の地図学的・図像学的検討をも伴って、条理プランに基づく地域開発計画の実態を解明し、更には絵図作成者の空間認識と、階層的地域単位の捉え方を明らかにした。地域の実態と計画を地図として表現することの意味が従来十分に論じられてこなかったことが、地図の特に縮尺についての本研究の検討から判明した。1800分の1、2400分の1、3600分の1というラウンドナンバーの縮尺を想定して地図が作成されたことが解明された意義は大変大きい。いま1つの研究は、従来の古代国家像の修正を迫る意義さえ有する、直線的計画道路の建設とそれを軸とした、古代の地域整備計画の存在が認められつつある近年の状況を踏まえての、直線的計画道路と駅家の復原を、北陸道と東山道を事例として行なうことであったが、これについても、越前・若狭を中心とする北陸道に関して、幾つもの新しい知見を組み込んだ論文2偏を発表した。更に、6月に刊行される『古代交通研究』第5号では、対象を近江・加賀・能登・越中に広げて研究成果を開陳することになっている。また、上記したような研究課題に対する万葉集の有効性については、特にここで指摘する。従来の万葉地理研究の問題点が浮かび上がるであろうと考えている。なお、わが国の歴史地理学をリ-ドしてきた矢守一彦の研究活動に関する、戦後日本の地理学の潮流を踏まえての検討は、直接古代歴史地理研究に結びつくものではないが、このような古代の歴史地理学的研究が、歴史地理学研究の中でどのように位置付けられるのかを間接的に知る上で有効であった。隣接分野への貢献をも意識しつつ、本研究を発展させていく予定である。
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