本研究は、中国・日本の密教で重んじられる『大日経義釈』『大日経疏』を、チベットに伝わったブッダグヒヤの『大日経』の注釈と比較することで、中国密教の内に潜む、禅的=中国的思考を摘出せんとするものであったが、当初の見込みと大いに異なる事態が発生したため、計画通りには事が進まなかった。 先ず、『大日経義釈』と『大日経疏』のテキストについては、近年刊行された『続天台宗全書』所収のものを用いれば大丈夫であろうと思っていたのだが、校訂に不十分な所があることに気づいたため、その底本と照合するために、関西にたびたび調査に赴かなくてはならなくなった。そのため、時間的にも大幅にロスしたし、その経費のため、必要な図書の購入を一部断念せざるをえなかった。 また、一方、ブッダグヒヤの注釈書に関しても、その翻訳を専門家に頼んだのであるが、思いのほか難しいとのことで、計画は大幅に遅延した。 その後、両者の照合を行ったが、余りにその内容が異なるので、対応部を見つけるのに難渋し、ようやく最近になって、その作業を終えたというのが実状である。 従って、現段階では、研究成果といえるほどのものは、いまだ報告できないのであるが、ただ、少なくとも言えるのは、中国・日本の密教において極めて重要な位置を占めている「深秘釈」「浅略釈」というものが、ブッダグヒヤの注には全く見られないということである。このことは、これと類似したものが初期の禅宗に見られることと相いまって、その思想の本質を考える上で極めて重要と思われるので、今後の研究によって、少しでも明らかにできたらと思う。
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