本研究の目的は、1920年代から30年代にかけて奈良女子高等師範学校附属小学校において展開された「学習法」の影響を受けて、同時代の日本の公立小学校の教師たちがどのような「学習」の概念と様式を形成したかを解明することである。研究の結果、次に示す3つのことを指摘できる。 第一に、1920年代には、公立小学校の先進的な教師たちの間で、1900年代の「自学主義」の影響の受けて、子どもの「学習」への注目が進んでいた。教師たちは、子どもによる「自己活動」や問題の構成と解決を重視した。また、特に、綴方や算術、そして低学年の子どもへの教育では、学習を生活と関連づけることが試みられた。ただし、学習についての教師の把握が、従来は教師が教授した教科の知識を子どもが自ら習得するという「自学自習」にとどまった例も多い。 第二に、東京の富士小学校では、学習は、子どもが生活する環境の中から「中心題材」を選んで「観察」「表現」「発表」することととらえられた。あらゆる教科において、教師の教授から子どもの学習へと基軸を転換した実践が試みられた。さらに、従来の教科を中心とした教科課程に代わる、子どもの学習の道筋を考慮したカリキュラムの編成も試みられた。富士小の取り組みは、子どもの興味の学習への組織化など、奈良女高師附属小の試みをしのぐ点もあったと評価できる。 第三に、子どもの学習を生活と関連づけようとした教師たちの中には、1920年代後半から1930年代にかけて独自のカリキュラムの編成を試みたものの、教師の定めた「生活」の枠に子どもの学習を追い込む場合もあった。例えば、明石女子師範学校附属小学校の及川平治は、早くも1910年代に、子どもの学習のダイナミズムに注目して独自の「題材」論を唱えたが、1930年代の「生活単位」論では、社会生活に必要な態度や習慣の養成を強調し、子どもの学習への理解は後退したと見ることができる。
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