明治末期から大正期にかけての社会政策思想においては、自由放任主義でもなく、農本的な保護主義でもなく、日本が世界経済に巻き込まれていくなかでいかにしてバランスのとれた国民経済を確立していくかという視点に立つ自由主義的な潮流が、従来解明されてきた以上に一定の厚みをもって存在していた。以前に戸田海市、神戸正雄、高岡熊雄を取り扱ったが、本研究では、京大グループの一人である河田嗣郎の明治末期の社会政策論を検討した。それは、社会進化論的な文明観に基づく「人格」主義と、組合国家論に帰着する「自助」主義を基本原理としており、自由主義的社会政策論の中では異色の個性を有したものであった。また、「私利」を排して「公共」を実現しようとするその思考様式に、日本近代の自由主義の限界とそのファシズムへの連続性を見いだすことができた。これにより、近代的理念にかなったものだけを自由主義として取り出すのではなく、日本近代に固有の形態と性格をもった自由主義像を描く展望を得た。 この河田研究に際しては、法政大学大原社会問題研究所、徳富蘇峰記念館より、河田の書簡等の複写の便宜を得た。河田の御孫に当たる河田 一氏にも、葉書等の史料を提供していただいた。また、河田研究は、立命館大学人文科学研究所近代思想史研究会において報告の機会を得(1995年9月9日)、『立命館大学人文科学研究所紀要』第65号に論文として掲載されることとなった。 河田研究の他では、法政大学大原社会問題研究所に3週間通って『高野岩三郎日記』(49冊)を筆写(未完)、徳富蘇峰記念館所蔵の社会政策・社会事業関係の書簡の複写によって、いくつかの貴重な史料を収集した。また、『日本社会事業年鑑』(16巻、1919〜43年)、『文化生活』(10巻、1921〜25年)をそれぞれ復刻版で購入した。
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