本研究は、鎖国制下の貿易都市都市長崎の実像をさらに明らかにするための一作業として、従来十分明らかにされていない、長崎の町触について検討したものである。 まず、今回の化学研究費補助金交付が決まる直前に、「貿易都市長崎における酒造統制令の展開-長崎町触を活用して-」(『京都産業大学論集』第25巻第4号、〈社会科学系列第12号〉平成7年3月)をまとめた。これは、その時点まで私が把握していた町触の性格や刊行状況、長崎の町触についてまとめ、さらに酒造統制令の分析から幕府直轄の貿易都市長崎の特質を明らかにしたものである。 交付決定後は、既刊町触集の収集に努めるとともに、東京大学史料編纂所・長崎県立長崎図書館・長崎市立博物館・大村市立史料館などで、長崎町触の史料調査・写真撮影を行った。結論からいうと、先の論文で紹介した以外にはまとまった形の長崎町触は残っておらず、改めて色々な未刊史料から個別に町触を集めていく必要があることがわかった。そこでまず、長崎の町の史料として唯一まとまったものである、藤家(桶屋町乙名)の「御書出之写」や日記類を大量に撮影し、現在分析を進めている。これを、他の史料(長崎奉行の出した)法令など)とつきあわせることにより、幕府中央-長崎奉行-長崎町乙名-長崎町人という文書の流れも明らかになるものと考えられる。 なお、調査の過程で、近世に作成されたと見られる長崎の法令に関する目録のようなもの(銘書帳)も見い出すことができたので、これから予定している町触目録・町触集の編纂・データベース化などに活用していきたいと思う。 個別テーマの分析、他都市との比較についても、いくつか目処のついたものもあるが、具体的な成果として活字になるのは、もう少し先の予定である。
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