初期読本作家の都賀庭鐘・上田秋成の作品には、当時の儒学・国学思想に関連の深いテーマが取り上げられており、また作家自身も随所で、儒学・国学的な論を展開している。本研究では、この問題について、当時の儒学・国学を中心とする思想界の動向を背景として捉えつつ考究しようと試みた。 本研究では特に、中国古来の言語観・文章観の受容のあり方という点について問題にした。日本近世の言語観・文章観は、中国の、特に儒学的な言語観・文章観を受容し、それを基礎に形成されたものと見てよい。ただその理解の内容に関しては、近世初期から中期にかけて深化が認められる。初期読本が成立した近世中期に至ると、近世初期と同様に中国の論を引用して言語・文章のあり方を論じていても、初期と比較して、的確かつ精緻な理解に到達していることが窺える。即ちここに至って、文章における表現と、その内容との相互の連関のあり方などが論じられるようになった。また国学者の言語観・文章観も、これを基礎にして成立したものである。今回の調査からも、特に表現の領域において、効果的な表現とはいかなるものか、という問題についての論が読出していることがわかった。このことは、初期読本における、独特の文体と語彙の使用という表現の問題と、そのテーマ、寓意という内容の問題とが、相互に密接な関連をもつものと思考されていたことを推測させるものである。この問題に関して、今回収集整理した資料をもとに、また読本作家自身の言語観・文章観の再検討をも踏まえながら、考究を進めることが、今後の課題である。
|