研究課題/領域番号 |
07710333
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研究種目 |
奨励研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
英語・英米文学
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研究機関 | 奈良教育大学 |
研究代表者 |
門田 守 奈良教育大学, 教育学部, 助教授 (50204516)
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研究期間 (年度) |
1995
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研究課題ステータス |
完了 (1995年度)
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配分額 *注記 |
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1995年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 英文学 / ロマン派 / バイロン / 詩 / 黙示録 / 崇高 / 楽園 |
研究概要 |
昨年度のByronのイタリア滞在期の詩作品までの研究成果を踏まえ、さらに深く彼がカルボナリ党の革命活動に関わった時期の詩作品とDon Juanにおける黙示録的崇高の反映について研究を進めた。本研究の背景を成す18世紀の崇高美学とイタリア革命時代のByronの詩には明瞭な関係が認められた。具体的にはJohn Pomfret、Isaac Watts、そしてAlexander Popeの黙示録や救世主願望の詩を検討した。Pomfretの"Dies Novissima: or the Last Epiphany"は、最後の審判の日に天上に召された人間が地上の変化を語り、反キリストの没落と天使たちの降下を詠うという内容をもつ。WattsやPopeの場合も、これと大差なく、形式的な想像力しか発揮されていない。しかし、ここに前世紀の黙示録的崇高とByronのそれの重大な違いが確認された。すなわち、Byronの詩の場合、黙示録の論理の発動後の楽園復興が全く成されていないのだ。Prophecy of Danteにおいて愛国者の列挙があっても、メシアの出現は予言されてはいない。Marino Falieroでの革命の頓挫を見れば、革命と黙示録の接合への懐疑感は明白である。むしろ、彼の楽園建設の衝動は文学作品の枠を越えて、現実の土地ギリシアに向かったのである。愛人のGuiccioli夫人やカルボナリ党の指導者Gambaに宛てた書簡から、いかにByronが死を覚悟し、メシアとしてギリシアに赴いたのかがわかる。当時のギリシアの民衆にはメシアの降臨が広く流布されていたことは、ShelleyのHellasを見れば確認できる。黙示録的瞬間へと自らに残された時を圧縮し、Byronは救世主のまねびを行ったのだ。Don Juanの諷刺を可能にしたゆとりとは、己を最期の瞬間まで演出する黙示録の論理が支えていた。かくして、Don Juanでの語り手の視点は現実の愚行に満ちた社会とそれがあるべき理想像としての姿が、二重焼きにされてしまうことになる。この件は発行予定の論文中で論じられることになる。
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