研究概要 |
本研究は,中国の甘粛省臨夏回族自治州積石山保安族東郷族撒拉族自治県で話されているモンゴル系言語の1つ保安語大河家方言に焦点をあて,そこに認められるチベット語アムド方言来源の借用語から保安族がチベット族との間にどのような民族接触を持っていたのかを明らかにしたものである。保安族が,現在の居住地の積石山で暮らすようになったのは,青梅省黄南省蔵族自治州同仁県から移動してきた清朝同治年間(1860年代)以降のことである。保安語大河家方言に数多く認められるチベット語アムド方言からの借用語は,保安族が青梅省に暮らしていた時代に周囲のチベット族との接触を通じて取り入れたものであるが,その詳細については今まで論じられたことはなかった。 保安語大河家方言におけるチベット語アムド方言来源の借用語の形式と意味分野から,次が明らかとなった。 1.保安族とチベット族との民族接触の形態は,期間,度合い,方向性から次のようなものであったらしい。 接触の期間は,借用語の形式が示すように場合によっては400年以上にも渡る長期である。接触の度合いは,多数の鹿の重要な部分にまで浸透している身体名称語によって裏付けされるように強い。そして,接触の方向はチベット族から安保族への一方通行ではなく,婚姻に関する借用語が示すように保安族からチベット族へも及んだ。 2.保安族へのチベット族への影響は,借用語の意味分野が示すように単に物質的な面にとどまらず,社会制度や精神活動にまで及んだようである。その中で特に注目されるのは,牧畜と鍛冶に関わる語の多さである。青梅省に住んでいた当時の保安族が毒血区や鍛冶に疎かったと単純に考えたくなるが,どうであろうか。
|