戦後における日本官僚制の政治的機能の変容については、これまで「統治機構の温存と強化」の内実の問題として議論されてきた。が、P.セルズニックの古典的な研究が明らかにしたように、官僚制の存続とは状況に応じてその発揮する機能を組み替えて新しい機能の束に価値を与えていく過程である以上、統治機構が「温存・強化」されたという評価は、そのまま漸進的な機能変容を示唆しているといえよう。本研究では、こういった戦中戦後を貫く漸進的な変化の指標として、内閣ではなく省庁編成に焦点をあてて、第1に組織面では大臣官房の強化、第2に人的資源の配分面では省庁横断的なキャリア・パターンをとりあげ、占領終結後の政治過程を通じた機能変容を同定した。ここでいう組織面とは、戦時行政下で設置された総務局長ポストが順次官房長ポストへ切り替えられていく現象と、省レヴェルの政策の体系化を所掌する調査企画部門(大蔵省官房調査部など)が官房に設置される現象とを指している。また人的資源の配分面では、統制経済関連省庁で調整機関への出向を通じてキャリアを蓄積する官僚と、省内の原局を中心にキャリアを蓄積する官僚との間で政策志向の差異が生じた。農林省の物動派と農政派の対立、通産省の国際派と民族派の対立と同様、大臣の人事介入が公然とはなされなかった大蔵省にも、主計局長のキャリアを検討することにより同様の亀裂を見いだすことができた。そして、こういった官房の強化は、占領終結後、政党による官僚制への浸透の企図に対抗する中で進行していった。まず、第3次鳩山内閣で試みられた行政機構改革が、「トップ・マネージメント」の強化のもと、政治的任命職の設置を試みたときに、官房長ポストがほぼ全省庁に及んだ。また、財政出動の圧力への抵抗は、伝統的な主計局流の査定の積み上げではなく、マクロ経済の分析を基礎に据えた官房調査課の構想力によってなされた。こうした変化は所得倍増計画策定後の政治-行政関係の前提となったのである。
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